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  • 名古屋市在住・短大生・映画(舞台)裏方志望。
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書く女

を観たかったんですが・・・

最初びわ湖ホール公演のチラシを見つけ、
「びわ湖かぁ・・・ちょっと遠いなぁ・・・」
と思ってたら長久手公演のチラシを発見!!
あれ?まさか色々回ってんのか?!と調べた時には既に遅く
行ける距離の公演チケットは全て完売・・・

で、『書く女』が何なのかと言うと、
永井愛さんと大石静さんが設立し、
交互に脚本を書く形でスタートした二兎社の33回公演。
現在大石さんは退団して永井さん一人で書いてらっしゃるそう。
付焼刃情報なので私もさっき知った(笑)

主演は寺島しのぶさんで、内容は樋口一葉の・・・半生???
彼女の日記は物凄いらしい、
師への秘めた熱い思い、友人知人への激辛評論、人の言動の詳細メモなど等
「書く女」一葉の自立に読まれちゃ困る日記から熱く迫るらしい。


読まれちゃ困る日記・・・
今、久世光彦の『陛下』を読んでいるが、その中に啄木の話しが出てくる。
彼はローマ字日記を付けていたそうだ。
その理由はぱっと見て読めないから、つまり読まれちゃ困る日記。
それもそのはず、女に対する欲望の強さへの自己嫌悪や、
女とどういう体位で寝たか迄詳細に書いてあるらしい。
永井愛さんも書くなら読まれちゃ困る日記が書きたいと言っていた。

そう言われると私もそんなのを書いてみたいと思う。
しかし何で読まれては困るのに書きたい衝動に駆られるのだろうか?
自分で読み反す?書く事で留めておきたい?
それとも本とは読まれたいのではないだろうか?
赤裸々な自分の姿を見られたいが、
高らかにそれを宣言するのには羞恥心が邪魔をする。
なので建前は読まれちゃ困る、でも人に分かる形で残していった。
そんな気がしてなりません・・・
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3ヶ月も放置・・・

すんごい放置してしまいました、すいません!!
最近ミクシィで書いているので、こっちをすっかり忘れてしまっていました。
ミクシィ登録してる方は良かったら探してみて下さい。

書いてない内に色々ありました。
2年生になり、20才になり、教育実習があり、その外色々・・・
今年は学校では版画を専攻。
写真部は継続で、その他ガラス工芸部、陶芸部にも所属。
これから作品など載せて行きたいと思いますので、
更新遅いですが、足を運んで下されば幸いです。

今日はホルガのプラモデルカメラを買った。
なんと、税込\1575!!
ビニールバックに入って売っているんですが、
バックの色が緑、ピンク、オレンジ、黄色、水色、黒、乳白色、茶色等何種類かあり、
私は茶色を買った。
値段的も、面白さも、デザインもプレゼントに最適。
ビレバン等で売ってるので、興味のある方は探してみて下さい。
明日組み立てたいと思います。

存在意義

先日から押井作品を観続けています。
3月に入ってからパトレイバー2を5回ぐらい、
3日前に借りてきたイノセンスと人狼を2回づつ、
2週間ぐらい前に借りた攻殻は1回、
SACの1,2巻を1回づつ。

観過ぎですよね。
そんな訳で押井色に染まっている今日この頃。
パト2の事件での『擬似戦争状態を作り出す事が方法ではなく目的』と言う言葉を聞き、
人間の存在自体がそうなのではないかと言う結論めいたものが浮かび上がった。
人はよく自分の意義や、存在する理由を求めたがる。
自分は何かにとって必要な存在なのだ、
自分は何かの為に居なきゃいけない存在だからこそ今ここに存在してる。
そう思いたい節がある。
しかし、実際は大低互いにすれ違っている。
必要だと求めても、気付かれなかったり、拒否されたり。
だが、そんな事はどうでも良いとでも言うように世界は平坦に回って行く。
しかし人が居なかったら、地球は回っても世界は回らない。
星を構成している物質があり、そのためこの星があるように、
人が居る社会、世界を作るために必要な物質が私達なのだ。
つまりは存在していると言う事実こそが存在理由であり意義なのである。

“人は概ね自分で思うより幸福でも不幸でもない、
肝心なのは望んだり、生きたりするのに飽きない事だ。”


レインマン

長らくご無沙汰してしまい、申し訳ありません。
一時期パソがぶっ壊れまして・・・
最初CPUクーラーが壊れて回らなくなっただけだったんですが、
1,2時間ぐらいは連続で使えたので、そのまま使い続けたら
部品取り寄せたり、すったもんだしている内にCPU自体がぶっ壊れてしまったらしく、
やっと取り替えたらウンともスンとも言わなくなり結局引き取ってもらいました。
しかも、最初お預かりだと1週間以上掛かると言われて部品を送ってもらったのに、
結局2日で帰ってきた・・・なんだったんだあの(父との論争の)壮絶な日々は・・・私の時間を返せー!!!(;´Д`)

まぁそれは置いておとくとして、随分と前ですが、
3月3日に舞台レインマンを見て着ました。

1988年ゴールデングローブ賞、アカデミー主要4部門を総なめにした、映画レインマン初の舞台化。
父の死をきっかけに自閉症の兄レイモンドと再会し、愛すると言う事を思い出すチャーリー。
この映画を見たのは随分と前だが、今でも楊子の数を瞬時に言い当てるシーンは覚えている。
舞台ではレイモンドを橋爪功さん、チャーリーを椎名桔平さん、
チャーリーの恋人スザンナを朴王路美さん、
レイモンドの主治医ウォルター・ブルーナーを大森博史さんが演じた。

橋爪さんと椎名さんが兄弟ではかなり年齢差があるが、それには「レイモンドが自閉症だったのでご両親は2人目を作ろうか随分と悩んだ」と言う説明が入れられていた。
もう一つ映画と違うのはチャーリーの職業だ。
映画では車のディーラーだったが、舞台ではネットトレーダーをしている。
昔は車のディーラーは儲かる仕事だったのだろうが、今の時代に合わせた変更だ。
それと、父の影響でチャーリーもレイモンドもサッカー好きで、
レイモンドはいつもネットに入れたボールをリュックに結わえ付けている。
舞台のセットがグルグル回るのだが、真ん中が少し高く両端が低い台形の舞台で、
舞台が動いている時にボールを蹴っるので凄く難しそうだった。
リフティングも2人で10回やろうと言って数え出すのだが、中々10回までいかない。
しかも橋爪さんは膝で蹴り上げたボールが顎に直撃すると言うハプニングがあり、
かなり痛そうだったが、その辺はチャーリーのアドリブで回復を待つ。
でも咄嗟の仕草がレイモンドでしかなく、流石だプロだと感じた。

スザンナは兎に角衣装替えが多い、チャーリーやレイモンドは、ほぼずーと同じだが、
スザンナは出てくる度に衣装が変っている。
私的には最初に来ていた紺色のバスローブが気に入った、
普通のシンプルな物でなく、ウエストから切り返しでドレープをつくりスカートのようになっている。
髪が濡れてなかったら一見分からないかもしれないが、綺麗なシルエットだった。
朴さんはスタイルが良いのでシルエットが綺麗なものは凄く映える。

レストランでのシーンでレイモンドに絡んで来るウエイトレスも朴王路美さんが演じている。
スザンナとは全然違う鼻に掛かったような高い声でばかっぽい喋り方、流石声優だ。
衣装はと言うとピンクのサテンで物凄いミニのいわゆるメイド服のような形で、
皿やグラスを置く時に一々客席にパンツを見せる。
その都度椎名さんが「オォ~!」と言うもんだからお客さんも一緒になって言い、大爆笑。

レイモンドは自閉症だが、サバン症候群というある特定の機能が以上に発達するという症状があり、
読んだ文は聖書の行だろうが、電話番号だろうが片っ端から覚えているし、
落ちた楊枝も瞬時に数える。
芝居の中でもレイモンドが聖書の行を言ってのけるし、
サッカーの何年の試合に誰が出てどう言う活躍をしたかをずっと喋っていたりする。
あの膨大な量を覚えたかと思うと気が遠くなりそうだ、改めて橋爪さんの凄さを実感。
自閉症患者特有の動作や視線も凄くリアルだった。

久しぶりに大きな芝居を観て、プロとアマとの違いをまさに肌で感じた。
確かにキャリアの違いもあるが芝居にかける気持ちが違う。
仕上がりは役の本人そのものだ、
一瞬で自分に戻ってしまうのでは、咄嗟のアドリブもきかせられない。
凄いと感じる事ばかりな舞台だった。

アーノルドエスネガーエクスプロージョンシステムvol7.『猿よさらば』

随分前の話になってしまいますが、行って来ました、前回よりも広い千種文化小劇場へ!!
やっぱ見やすい。前回の『純情な怪談』もこっちでやった方が良かったんじゃ・・・
確かに七つ寺のあの近さは客と役者が一体となると言うフレーズに当てはまっているように思える距離感。
しかし距離は近いが、近すぎて全体は把握できないし、
客はやっぱ見てるだけな訳だから、一体感はどちらにせよない。
帰ってきたゑびすの『うれしひ』は懐中電灯で客席を照らすと言う演出的にあの近さの効果はあったと思うが。
テレビや映画、大きな舞台(学校の舞台でも七つ寺の10倍ぐらいはある・・・)
を見慣れているからか、ある程度の距離感があった方が引き込まれる。
ある意味リアリティはない方が良いのかもしれない。
千種文化小劇場は円形劇場で、四方とまでは行かないが、
三方から見られる為に役者は色んな方向を向く。
色んな方を向いてるのは演技的に自然で良いが、しかし声がどうしても後ろ側には届き難い・・・

さて内容。
猿とチンパンジーのハーフであるヒューマンジーを巡って動物愛護団体と、人権団体と、
見世物小屋と、霊長類研究所と、闇の組織(?)が壮絶なバトル(取り合い)を繰り広げる物語。

最初に出てくるのは動物愛後団体ブレーメンはアニマルライトと言う過激とも言える動物愛護精神で世の動物達の解放を目指し、そのマスコットになるような動物を探していた。
アニマルライトとは動物の権利の事。動物版基本的人権の尊重と言うようなもので、
生きる・実験されない・飼育されない・食べられない権利を有すると言う考え方。
確かに考えさせられる問題だが、私は大多数の人間のしている事が、
根本的にそれ程自然界の理に反しているとも思えない。
唯一“実験されない権利”だけはなんとなく頷けるが。

見世物小屋にはシャム双生児の漫才コンビ(?)や小人症の人やヒューマンジーのアーノルドがいる。
団長は彼等が生きて行く為に、仕事を得るために見世物小屋は必要だと主張する。
これはもう本人達の問題だ、彼等がそれを不快に思っていないならそれで良いと私は思う。
それよりもシャム双生児と言うのはそのままの状態で生きていけるものなのだろうか?
知識が足りないので分からないが、分離手術を行ったべトちゃんドクちゃんはご健在だそうだ。

物語の中にどこからが猿でどこからが人かと言う問題が提示される。
直立二足歩行が人間か?道具を使えば人間か?言語を理解すれば人間か?
では全身毛むくじゃらでも言葉を話せるアーノルドは人なのか?
アーノルドがもし言葉を話せないのなら猿なのか?・・・

ハッキリ言うと難しい。。。
何所の保護・愛護団体の回しもんだ???と思うほどに濃い内容で、
専門用語も頻繁に出てくる。初めに配られた用語解説を読めば大体分かるが、
何せ開演ギリギリに着いたものですから・・・・
実家がグリンピース農家の娘さんが、元グリーンベレーやら、元環境保護団体グリーンピース所属やらと勘違いされていたが、ちょっと難しかったよ・・・

観終わった時にふと、芥川龍之介の言葉を思い出した。
「人間的なあまりに人間的なものは大抵は確かに動物的である。」

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