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哲学Ⅱ

何だかんだで潰れてしまい、まだ3時間目。
しかも今日からやっと本格的に授業が始まると言うのに、
2時限目からだからとのんびりしていたら遅刻をしてしまった・・・。
その上途中眠たすぎて寝てしまったので、
プリントの問題についてあとで友人に聞いたところ、
難しすぎて訳が分からなかったらしい・・・。
テキストをまだ買っていなかったので、そのまま友人に借り、
家に帰ってきてから自分で考える事にした。

これからやっていくのは形而上学。
広辞苑から引用すると「現象を超越し、その背後に在るものの真の本質、存在の根本原理、存在そのものを純粋思惟により或るいは直観によって探求しようとする学問。」だそうだ。

ベルクソンは「哲学者達の形而上学に対する定義、意見がまちまちであるにも関わらず、
根本から異なった二つの方法を区別している点は一致してる」と言っている。

その二つの方法とは相対的認識と絶対的認識である。
相対的認識とは対象の周囲を回ると言う意味を含んだもので、
見地(観察・判断する時の立場)や、表現に用いられる(翻訳される)記号に依存している。
つまり、それを捉える自分自身はいつも対象の外部にいて、相対の立場にとどまっている。
絶対的認識とは対象の内部に入り込むと言う事を意味していて、
従って見地を考えず、記号に頼らない方法だ。
これはそれが可能な場合は絶対に到達する。

どうやら問題はこの説明のあとに上げられている例を要約しろという事らしい。
4つほど例が上げられているのだが、今日は1つしか進まなかったようだ。
一つ目は「空間中を一つの物体が運動している」というのも。

相対的認識に依ると、見地では可動なのか不動なのかと言う違い。
つまりは自分も動いていて物体を捉えるのか、自分は止まっていて物体を捉えるのかで、
その運動の知覚は異なってくる。
その他に座標系、基準軸のいかんつまりは翻訳される記号のいかんによる違い。
これにより、異なった仕方で言い表される。
それらを比較し、その物体がどのようなものなのかを認識する。
どちらにせよ確かに相対にとどまっている。

対して絶対的認識に依ると、運動している物体に精神を帰属させてる。
つまりは物体に共感し、自分自身がその物体になったつもりで考える。
すると、物体が運動しているのか、していないのか、どのような運動をしているのかで、
自分が経験するところは異なってくる。
この方法は見地にも記号にも依存しないし、よって比較する必要も無い。
と言うより、自分が物体自体なのだから、
外からのように観察したり、判断したり、捉えたりと言う事は出来ないのだ。
自分がその物になって考えた時点で答えは出てしまっている。
絶対に到達した訳である。

この文を書いていて実感した事は自分の感覚を明確に人へ伝えるには、
言葉で表す位しかないのだが、それはとてつもなく大変だと言う事だ。
しっくりくる言葉がなかなか見つからない。
果たして私の説明で友人は理解してくれるのだろうか?
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